ポン酢まみれ

鬱に7年悩まされた学生時代と様々な経験を経て、フリーランスとなった平凡な三十代女性のブログ

辛い過去にも必ずある筈の幸いと隠キャは日の目を見ることができない話。


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こんにちは、ポン酢です。
夏風邪をひきました、鼻水がすごいです。
 
夏風邪を引いた原因はもう明確でして・・・それはクーラーなんです。。。
梅雨時期のじめじめした部屋の湿度とパソコンという熱源、そして仕事道具のパソコンが故障しないよう冷やす目的もあってクーラーを結構効かせていたんですよね。
 
朝からずっと着けているのでここ数日、消し忘れて寝ていることがありました。
昨日起きてから、喉は痛いし鼻がずるずる。
見事な鼻声になってました笑
みなさんもクーラーの使い方には気をつけましょうね><
あ、私はガスと電気も消し忘れしやすいので気をつけなきゃ・・・。
 
今日もゆ〜っくりカタカタと書いていきます^^*
内容が重く、暗いです。でもとても昔の話です。
ご無理のない程度で思い出話にお付き合いください。
 

前回書いたこととか。

ドラマや漫画のような裕福な家にチート環境で生まれたものの、飲んだくれで博打好きで浮気性で無職で暴力という最低男のテーマパークが父親だったおかげで転落人生一直線のポン酢がこれまでのことを振り返るために書き出したブログです。
前回の記事はこちらです。
 
「お父さんとお母さん、どっちがいい?」
「・・・おかあさん」
齢4歳にして人生最大の二択を大博打で当たりを引けた私は相当なギャンブラー!
やっぱり実父の血を受け継いでいるのでしょうか・・・やだなぁ笑

貧しい生活にも幸せがあった話とか。

次兄はとても母親思いです。
引っ越して一人で朝から晩まで働いている母が残業で遅くなったりすると、山の上の方にある母の職場まで迎えに行ってたんです。
その頃は、おそらく小学校中学年くらい。
 
そしてそのまま私を保育園まで二人で迎えに来てくれるんです。
延長保育で周りは暗いし、園の子もまばらになっていて、寂しい気持ちになっているので私も二人が来るとテンションがガンガンに上がっていたと思います笑
次兄はとても私を可愛がってくれました。
赤ちゃんだった頃の写真を見てもわかるのですが、べったり私にひっついているのがとても微笑ましいです。
 
また友人と話をしていると兄弟が多いと、ご飯を取り合ったりしていたという話をよく聞きます。
私はそういう時、疑問に思います。うちはそんなことなかったな、と。
一人一人、自分のお皿の物にしか手をつけないのです。
 
ご飯を沢山食べたい盛りの小・中学生の男の子二人がよく我慢していたなと思います。
そして母が忙しくても面倒でも必ず、一人ずつお皿に盛り付けていた手間が、貧しい中にも良心を育んでくれた要因だと思います。

それでもやっぱり辛いことが多かった小学生時代の話とか。

人懐っこく、明るい性格だった私は小学生になった頃にはすっかり内向的な子になりました。
世間一般的ないじめのようなものはなかったですが、やはり隠キャで太っている私には風当たりが強かったんですよ。
大人しそうな性格と見た目のせいか頑張っても笑われ、「何故私を見て笑うの?」そう聞けるわけもなくただただ下を向いてそこから逃げていました。
 
何をしてもうまくできない。
自分に全く自信が持てない。
私は人に笑われる。
 
そんなことを思っては自分の中に隠して、外に出すことはありませんでした。
私はどんどん、口数も減りました。
ただただ言いたいことを内に秘めて、目だけで何かを訴えては言いたことがあるなら言いなさいと叱られていました。
 
現在の私はいつもテンション高くてずっと喋ってるねと友人に言われるのですが、大人になって出会った人たちには私がそんな子供だったとは到底信じてもらえないだろうなぁと思います。
黙らなきゃと思うんですけど止まらないんですよねぇ・・・おしゃべりするのも聞くのも大好きです^^*
うつ病が良くなって本来の性格が出てるんでしょうね。
 
ここまでは同級生からしたら「あぁ、そういえばそういう子いたね」って感じの苦味の強い薄味の小学生時代。
そしてここから私が一番思い出したくもない時間であり、私にとって必要だった時間のお話になって来ます。
中学生に上がって不登校になり、歪んでいく私と家族。
 
子供が鬱になると治すには家族の協力が必須になってくると思います。
常に一緒にいるわけですし、一番長い時間を過ごして来たんですから。
それを一番にしてくれたのは私は母でした。
 
感情の起伏が激しく、言うことがころころと変わり、甘えてきたかと思えば怒りや憎しみのこもった目で見て拒絶をする娘に寄り添って根気よく尽くしてくれました。
本当にもう・・・スゴいとしか言えないです。
私には自分の子供でもあんなにしてあげれるかわかりません。
次回から一段と話の内容が暗く、重くなってきますのでご了承ください><;
今日の締め話:母親には感謝しかないという話とか。
私は今、シングルマザーになった頃の母と同じ年代になっています。
そして最近はたと思う時があるんです。
「私はあそこまで子供にしてやれるだろうか?」と。
 
下記の記事で結婚願望とかに関して軽く書かせていただいているのですが、これまで見て来た母の献身さに私はああはなれないと思ってしまっているのかもしれないです。
私は優しいとか世話焼きだとかよく友人から言われるのですがそうでもないって思うのは母と自分を比べているんだと思います。

ponponponzu.hatenablog.jp

 
やっぱり自分の一番身近な人がそれに対する定義になるじゃないですか?
そこまで私はやってあげれない、私は自由に生きるんだ!なんて自己中心的な独身貴族を気取ってます笑
 
私の年齢では三人の子供がいた母なので少し前までは私が今お付き合いしている方がいないことや、結婚について心配していました。
(おそらく母と寂しがり屋なところが似ているのがわかっているのもあるんでしょうが笑)
しかし仕事をせっせとやって好きなことや楽しんでいることをニコニコと報告する私を見て、諦めたというかこの子はこれでいいんだと納得したらしく、最近では好きなことをどんどんやりなさいとカラカラと笑います。
 
話は長いし、くどいし。実家に行くとイラッとすることもありますが笑
やっぱり母は大切な人ですね。
 
長くなったので、今日はこの辺で。
またお会いできたら嬉しいです^^*