ポン酢まみれ

鬱に7年悩まされた学生時代と様々な経験を経て、フリーランスとなった平凡な三十代女性のブログ

中学生に上がってからの環境の変化と不登校になった理由。


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こんにちは、ポン酢です。
だいぶ体調が良くなってきました。
まだ喉が痛いのと鼻の通りが悪く、鼻声です^^;
最近クーラーが怖いです・・・笑
 
ささっ、今日もマイペースに書いていきます^^*
内容が重く、暗いです。でもとても昔の話です。
ご無理のない程度で思い出話にお付き合いください。

前回書いたこととか。

貧しい幼少期。それでも家族は優しく、暖かかった。
だけど上品で穏やかに育ってきた私にとって、新しい環境は私には厳しく、辛いものでした。
なぜこんな目に遭うのか。理解するにはまだ難しい年齢でただ泣いていました。
当時のことを母は「とても我慢させていた」と言ってくれます。
自分も大変だったのに私を気遣ってくれるなんて優しい人です。
 
小学生の頃に「何をしてもうまくできない、自分に全く自信がない」と自分自身で刷り込んでいた頃。
今も自信をもつことがなかなかできないのはこの頃の自分が印象強いのかもしれません。
どんどん内向的になっていきました。
そしてそのまま中学校へ上がり、私は壊れていきました。

そういえば忘れてた!笑 新しいお父さんができた話とか。

忘れてたというかどの辺で書くかを悩んでいて、今このタイミングという笑
このままうつ病がひどくなっていく話をしてしまうともっと書くタイミングを逃してしまうなと思い、ぶった切って少しだけお話しさせていただきます。
 
なんと母にいい人ができたのです。
それは小学生中学年の頃でした。
勤め先の上司とかで、ちょっと昔気質というか男尊女卑の気がありましたね・・・笑
良い言い方をすれば日本男児、でしょうね。
でも面白い人でしたし、仲良くしてくれました。
 
私は父親がおらず、お友達のお父さんを見るとやはり羨ましいと思っていました。
なので「お父さん」ができることが無条件に嬉しかった。
長兄は複雑そうでしたが特に反対も賛成もせず、結婚したければすればいいと言った感じ。
次兄は母が好きで大事にしていましたし、家族四人でいい、父親はいらないと反発しました。
その頃から次兄が・・・グレました笑
 
紆余曲折、イロイロありましたがお父さんができました。
 
今ふと思い出したのですが、夏休みの宿題で一行日記なるものがあったのですが、再婚前に遊んでもらった時に
「お母さんのおじさんが来て、あそんでもらいました」
と書いたのを家族に苦笑いされました笑

中学に入学してからの変化の話とか。

さて、ここから私の中にあった暗い部分が顔を出してきた話になって来ます。
私が一番、淀んだ目をして顔を下に向けている長い時間です。
 
やはり中学校へ入学となると私もお友達作って勉強いっぱいするんだとわくわくしていました。
小学校の成績は悪くない方でしたので、継続して頑張りたいなと思っていました。
スポーツはてんでダメでしたけど・・・。
苦手というか、バカにされるのが怖くてできなかったって感じです。
 
周りの子達も少しは大人になり、視野が広がったのか私のような地味な子にずっとちょっかいを出すようなことも少なくなった気がします。
他の小学校から来た人気者になるタイプの子と仲良くなったのもその要因かなとも思います。
理由は全くわかりませんが中学に上がってそういう子に好かれました。
可愛い明るい女の子や目立つ不良の男の子とか。
 
私は兄が二人いたからか、男の子と遊ぶ方が好きです。楽というか。
女の子には気を使うことが多い気がします。だからと言って嫌というわけではないんですよ!
その流れで中学校でも男の子のお友達ができ、その子の友達の別のクラスの子と友達になったりしてましたね。
 
ヤンキーの男の子って中学生の頃ってマックスでモテるじゃないですか?
下校時に学年で一番人気のヤンキー君(笑)に「ポン酢さん、ばいばい」と手を振られたから「うん、ばいばい」と普通に振り返したんですよね。
そしたら近くに座ってた女の子が「手ぇ振ってんじゃねぇよ、ふつー振らないだろ」って言われてゾッとしました。
あ、私はこんな些細なことすら許されないんだと。
 
今思えば「なんでだよ、振られたら降るだろうが」って思うし言えますし、その子に言われたからって私の価値や評価が変わるわけじゃないのに、劣等感の塊だった頃の私にはそれがとても心に刺さりました。

ついに私が壊れた話とか。

中学一学期の終わり頃、学校で発表会があったんですね。
歌ったり楽器を演奏したりするんです。
イメージ的には合唱コンクールみたいな感じです。
 
音楽の時間で練習をするんですけど、私が上手くできなかったんです。
めっちゃ焦ってやろうとするんですが上手くできないというのが続いたんですね。
そしたらある日の音楽の時間に先生から
 
「下手くそ、どいて邪魔」
 
と手を犬を追い払うような仕草で言われました。
私はその時、もうダメだ、もう無理だと思いました。
 
先生も学年全てのクラスを見ていて、忙しかったんだろうなと今この年齢になったからこそ思えることがあります。
でも中学生の私は無知ですし、人を思いやることなんてできません。
だから私は「今までいっぱい泣いて辛い思いをしてきたのに、なんで?」と思いました。
 
頑張ったって上手くいかないし、何も良いことない。
私もブスになりたくてブスになったわけじゃないのに。
器用に生まれたかった、頭が良く生まれたかった。
こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃない。
 
そうぐるぐると考えている間に心と頭が真っ黒になりました。
翌日から私は、学校へ行くことを拒否しました。
 
今日の締め話:過去の出来事を思い出すのはカロリーを使う話とか。
今では全くもって昔話ではあるのですが、よく思い出しながら書いているとなんだか苦しくなるものですね^^;
ちょっと中学校の頃の話を書いてる時は汗が出て、少しうるうるとしてしまいました。
私が弱いからそうなったんだと言われたら、私のお話は終わってしまいます。
でも、同じように苦しんでいる人、お子さんが登校拒否だという方に、私の話が少しでも元気の素になってくれたらと願って書いていきますね。
 
今日はこの辺で。
またお会いできたら嬉しいです^^*