ポン酢まみれ

鬱に7年悩まされた学生時代と様々な経験を経て、フリーランスとなった平凡な三十代女性のブログ

中学生に上がってからの環境の変化と不登校になった理由。

こんにちは、ポン酢です。
だいぶ体調が良くなってきました。
まだ喉が痛いのと鼻の通りが悪く、鼻声です^^;
最近クーラーが怖いです・・・笑
 
ささっ、今日もマイペースに書いていきます^^*
内容が重く、暗いです。でもとても昔の話です。
ご無理のない程度で思い出話にお付き合いください。

前回書いたこととか。

貧しい幼少期。それでも家族は優しく、暖かかった。
だけど上品で穏やかに育ってきた私にとって、新しい環境は私には厳しく、辛いものでした。
なぜこんな目に遭うのか。理解するにはまだ難しい年齢でただ泣いていました。
当時のことを母は「とても我慢させていた」と言ってくれます。
自分も大変だったのに私を気遣ってくれるなんて優しい人です。
 
小学生の頃に「何をしてもうまくできない、自分に全く自信がない」と自分自身で刷り込んでいた頃。
今も自信をもつことがなかなかできないのはこの頃の自分が印象強いのかもしれません。
どんどん内向的になっていきました。
そしてそのまま中学校へ上がり、私は壊れていきました。

そういえば忘れてた!笑 新しいお父さんができた話とか。

忘れてたというかどの辺で書くかを悩んでいて、今このタイミングという笑
このままうつ病がひどくなっていく話をしてしまうともっと書くタイミングを逃してしまうなと思い、ぶった切って少しだけお話しさせていただきます。
 
なんと母にいい人ができたのです。
それは小学生中学年の頃でした。
勤め先の上司とかで、ちょっと昔気質というか男尊女卑の気がありましたね・・・笑
良い言い方をすれば日本男児、でしょうね。
でも面白い人でしたし、仲良くしてくれました。
 
私は父親がおらず、お友達のお父さんを見るとやはり羨ましいと思っていました。
なので「お父さん」ができることが無条件に嬉しかった。
長兄は複雑そうでしたが特に反対も賛成もせず、結婚したければすればいいと言った感じ。
次兄は母が好きで大事にしていましたし、家族四人でいい、父親はいらないと反発しました。
その頃から次兄が・・・グレました笑
 
紆余曲折、イロイロありましたがお父さんができました。
 
今ふと思い出したのですが、夏休みの宿題で一行日記なるものがあったのですが、再婚前に遊んでもらった時に
「お母さんのおじさんが来て、あそんでもらいました」
と書いたのを家族に苦笑いされました笑

中学に入学してからの変化の話とか。

さて、ここから私の中にあった暗い部分が顔を出してきた話になって来ます。
私が一番、淀んだ目をして顔を下に向けている長い時間です。
 
やはり中学校へ入学となると私もお友達作って勉強いっぱいするんだとわくわくしていました。
小学校の成績は悪くない方でしたので、継続して頑張りたいなと思っていました。
スポーツはてんでダメでしたけど・・・。
苦手というか、バカにされるのが怖くてできなかったって感じです。
 
周りの子達も少しは大人になり、視野が広がったのか私のような地味な子にずっとちょっかいを出すようなことも少なくなった気がします。
他の小学校から来た人気者になるタイプの子と仲良くなったのもその要因かなとも思います。
理由は全くわかりませんが中学に上がってそういう子に好かれました。
可愛い明るい女の子や目立つ不良の男の子とか。
 
私は兄が二人いたからか、男の子と遊ぶ方が好きです。楽というか。
女の子には気を使うことが多い気がします。だからと言って嫌というわけではないんですよ!
その流れで中学校でも男の子のお友達ができ、その子の友達の別のクラスの子と友達になったりしてましたね。
 
ヤンキーの男の子って中学生の頃ってマックスでモテるじゃないですか?
下校時に学年で一番人気のヤンキー君(笑)に「ポン酢さん、ばいばい」と手を振られたから「うん、ばいばい」と普通に振り返したんですよね。
そしたら近くに座ってた女の子が「手ぇ振ってんじゃねぇよ、ふつー振らないだろ」って言われてゾッとしました。
あ、私はこんな些細なことすら許されないんだと。
 
今思えば「なんでだよ、振られたら降るだろうが」って思うし言えますし、その子に言われたからって私の価値や評価が変わるわけじゃないのに、劣等感の塊だった頃の私にはそれがとても心に刺さりました。

ついに私が壊れた話とか。

中学一学期の終わり頃、学校で発表会があったんですね。
歌ったり楽器を演奏したりするんです。
イメージ的には合唱コンクールみたいな感じです。
 
音楽の時間で練習をするんですけど、私が上手くできなかったんです。
めっちゃ焦ってやろうとするんですが上手くできないというのが続いたんですね。
そしたらある日の音楽の時間に先生から
 
「下手くそ、どいて邪魔」
 
と手を犬を追い払うような仕草で言われました。
私はその時、もうダメだ、もう無理だと思いました。
 
先生も学年全てのクラスを見ていて、忙しかったんだろうなと今この年齢になったからこそ思えることがあります。
でも中学生の私は無知ですし、人を思いやることなんてできません。
だから私は「今までいっぱい泣いて辛い思いをしてきたのに、なんで?」と思いました。
 
頑張ったって上手くいかないし、何も良いことない。
私もブスになりたくてブスになったわけじゃないのに。
器用に生まれたかった、頭が良く生まれたかった。
こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃない。
 
そうぐるぐると考えている間に心と頭が真っ黒になりました。
翌日から私は、学校へ行くことを拒否しました。
 
今日の締め話:過去の出来事を思い出すのはカロリーを使う話とか。
今では全くもって昔話ではあるのですが、よく思い出しながら書いているとなんだか苦しくなるものですね^^;
ちょっと中学校の頃の話を書いてる時は汗が出て、少しうるうるとしてしまいました。
私が弱いからそうなったんだと言われたら、私のお話は終わってしまいます。
でも、同じように苦しんでいる人、お子さんが登校拒否だという方に、私の話が少しでも元気の素になってくれたらと願って書いていきますね。
 
今日はこの辺で。
またお会いできたら嬉しいです^^*

辛い過去にも必ずある筈の幸いと隠キャは日の目を見ることができない話。

こんにちは、ポン酢です。
夏風邪をひきました、鼻水がすごいです。
 
夏風邪を引いた原因はもう明確でして・・・それはクーラーなんです。。。
梅雨時期のじめじめした部屋の湿度とパソコンという熱源、そして仕事道具のパソコンが故障しないよう冷やす目的もあってクーラーを結構効かせていたんですよね。
 
朝からずっと着けているのでここ数日、消し忘れて寝ていることがありました。
昨日起きてから、喉は痛いし鼻がずるずる。
見事な鼻声になってました笑
みなさんもクーラーの使い方には気をつけましょうね><
あ、私はガスと電気も消し忘れしやすいので気をつけなきゃ・・・。
 
今日もゆ〜っくりカタカタと書いていきます^^*
内容が重く、暗いです。でもとても昔の話です。
ご無理のない程度で思い出話にお付き合いください。
 

前回書いたこととか。

ドラマや漫画のような裕福な家にチート環境で生まれたものの、飲んだくれで博打好きで浮気性で無職で暴力という最低男のテーマパークが父親だったおかげで転落人生一直線のポン酢がこれまでのことを振り返るために書き出したブログです。
前回の記事はこちらです。
 
「お父さんとお母さん、どっちがいい?」
「・・・おかあさん」
齢4歳にして人生最大の二択を大博打で当たりを引けた私は相当なギャンブラー!
やっぱり実父の血を受け継いでいるのでしょうか・・・やだなぁ笑

貧しい生活にも幸せがあった話とか。

次兄はとても母親思いです。
引っ越して一人で朝から晩まで働いている母が残業で遅くなったりすると、山の上の方にある母の職場まで迎えに行ってたんです。
その頃は、おそらく小学校中学年くらい。
 
そしてそのまま私を保育園まで二人で迎えに来てくれるんです。
延長保育で周りは暗いし、園の子もまばらになっていて、寂しい気持ちになっているので私も二人が来るとテンションがガンガンに上がっていたと思います笑
次兄はとても私を可愛がってくれました。
赤ちゃんだった頃の写真を見てもわかるのですが、べったり私にひっついているのがとても微笑ましいです。
 
また友人と話をしていると兄弟が多いと、ご飯を取り合ったりしていたという話をよく聞きます。
私はそういう時、疑問に思います。うちはそんなことなかったな、と。
一人一人、自分のお皿の物にしか手をつけないのです。
 
ご飯を沢山食べたい盛りの小・中学生の男の子二人がよく我慢していたなと思います。
そして母が忙しくても面倒でも必ず、一人ずつお皿に盛り付けていた手間が、貧しい中にも良心を育んでくれた要因だと思います。

それでもやっぱり辛いことが多かった小学生時代の話とか。

人懐っこく、明るい性格だった私は小学生になった頃にはすっかり内向的な子になりました。
世間一般的ないじめのようなものはなかったですが、やはり隠キャで太っている私には風当たりが強かったんですよ。
大人しそうな性格と見た目のせいか頑張っても笑われ、「何故私を見て笑うの?」そう聞けるわけもなくただただ下を向いてそこから逃げていました。
 
何をしてもうまくできない。
自分に全く自信が持てない。
私は人に笑われる。
 
そんなことを思っては自分の中に隠して、外に出すことはありませんでした。
私はどんどん、口数も減りました。
ただただ言いたいことを内に秘めて、目だけで何かを訴えては言いたことがあるなら言いなさいと叱られていました。
 
現在の私はいつもテンション高くてずっと喋ってるねと友人に言われるのですが、大人になって出会った人たちには私がそんな子供だったとは到底信じてもらえないだろうなぁと思います。
黙らなきゃと思うんですけど止まらないんですよねぇ・・・おしゃべりするのも聞くのも大好きです^^*
うつ病が良くなって本来の性格が出てるんでしょうね。
 
ここまでは同級生からしたら「あぁ、そういえばそういう子いたね」って感じの苦味の強い薄味の小学生時代。
そしてここから私が一番思い出したくもない時間であり、私にとって必要だった時間のお話になって来ます。
中学生に上がって不登校になり、歪んでいく私と家族。
 
子供が鬱になると治すには家族の協力が必須になってくると思います。
常に一緒にいるわけですし、一番長い時間を過ごして来たんですから。
それを一番にしてくれたのは私は母でした。
 
感情の起伏が激しく、言うことがころころと変わり、甘えてきたかと思えば怒りや憎しみのこもった目で見て拒絶をする娘に寄り添って根気よく尽くしてくれました。
本当にもう・・・スゴいとしか言えないです。
私には自分の子供でもあんなにしてあげれるかわかりません。
次回から一段と話の内容が暗く、重くなってきますのでご了承ください><;
今日の締め話:母親には感謝しかないという話とか。
私は今、シングルマザーになった頃の母と同じ年代になっています。
そして最近はたと思う時があるんです。
「私はあそこまで子供にしてやれるだろうか?」と。
 
下記の記事で結婚願望とかに関して軽く書かせていただいているのですが、これまで見て来た母の献身さに私はああはなれないと思ってしまっているのかもしれないです。
私は優しいとか世話焼きだとかよく友人から言われるのですがそうでもないって思うのは母と自分を比べているんだと思います。

ponponponzu.hatenablog.jp

 
やっぱり自分の一番身近な人がそれに対する定義になるじゃないですか?
そこまで私はやってあげれない、私は自由に生きるんだ!なんて自己中心的な独身貴族を気取ってます笑
 
私の年齢では三人の子供がいた母なので少し前までは私が今お付き合いしている方がいないことや、結婚について心配していました。
(おそらく母と寂しがり屋なところが似ているのがわかっているのもあるんでしょうが笑)
しかし仕事をせっせとやって好きなことや楽しんでいることをニコニコと報告する私を見て、諦めたというかこの子はこれでいいんだと納得したらしく、最近では好きなことをどんどんやりなさいとカラカラと笑います。
 
話は長いし、くどいし。実家に行くとイラッとすることもありますが笑
やっぱり母は大切な人ですね。
 
長くなったので、今日はこの辺で。
またお会いできたら嬉しいです^^*

人生初めての大きな選択は父か母という二択。

こんにちは、ポン酢です。
私は季節の中で夏が一番好きです。
暑いし日焼けするし、汗もかくし大変だけど空や緑が気持ちが良いほど元気で鮮やかで気持ちが元気になるから好きです。
あと私が夏生まれというのも理由の一つだったり^^*
 
だけど特に嫌いな季節はありません。
春は何か始まりそうでワクワクするし、秋は過ごしやすくて穏やかな雰囲気がよくて、冬は寒いけど家に帰った時や大事な人に会った時他の季節より心にしみる感覚がします。
全部私基準ですけどね笑
 
さて、ブログ3回目の更新になります。
今日もの〜んびり書いていきます^^*
内容が重く、暗いです。でもとても昔の話です。
ご無理のない程度で思い出話にお付き合いください。

前回書いたこととか。

お金持ちの家に生まれてまさに勝ち組チート環境って感じだったんだけど・・・
なんと実父が映画やドラマに出てくるような飲んだくれで暴力を振るう最低最悪のダメ男?!
私これからどうなっちゃうの!
なんてアニメのナレーションみたいな説明をしてみましたがなんかうざいですね笑
 
前回の記事は下から読めます。ご興味ありましたら是非^^
 

裕福な勝ち組環境から超貧乏に・・・明るい性格から内向的になった子供時代の話とか。

ある日、言いにくそうに母から聞かれました。
「お父さんとお母さん、どっちがいい?」
よく意味がわかりませんでしたが、お母さんと答えました。
そうすると一緒に聞いていた祖母が悲しそうにため息を吐きました。
 
この質問は「お母さんたちは離婚するからどちらと一緒に暮らしたい?」
という問いを幼稚園の私にしたところで理解ができないのでそう聞いたんでしょう。
兄二人は小学生高学年と中学年だったので、理解した上で当然、母と答えました。
祖母もわかっていたことだとは思いますが、可愛がっていた孫が全員離れていくことはかなり堪えていたようでした。
 

お金持ちのお嬢様が引っ越した先は柄の悪い田舎。始まる貧乏生活の話とか。

記憶は飛んで小さなアパートの一室。
築年数もかなり経っていて、ボロボロな1DK(1Kだったかも?)。
お風呂は正方形の小さく古いタイプのもの。
母と兄と祖母と私で引っ越し先を内覧に行った時のことです。
ここに住むんだよと言われた気がします。
 
それに対して私は
「おばあちゃんとおとうさんもいっしょにすむ?」
と言って無邪気に祖母を悲しませました。
子供は本当に素直ですよね・・・。
 
そこからはあまり楽しい思い出がありません。
毎日泣いていたような気がします。
お金持ちのお嬢様がわけもわからず急に粗悪な環境になったので、ギャンギャン泣いてました。
特に嫌だったのが保育園でした。
 

周りの子に馴染めない。毎日泣いて、ストレスで太りだす話とか。

引っ越した先は出身を聞かれて答えると決まって「じゃあヤンキーでしょ?」なんて聞かれるようなところで、保育園の子達も言い方が悪いですがガサツで意地悪な子が多かったんですよ・・・。
それがぬくぬくと穏やかでお上品な幼稚園に通っていた子が馴染めるわけもなく、行きたくないと泣きわめき毎朝母を困らせました。
 
母が仕事に出るのは保育園の登園が始まるよりも早かったので、長兄が朝学校へ行く前に送ってくれていたのですがそれも座り込んだり泣いて・・・長兄は毎日のように中学校を遅刻していました。
長兄も新しい環境に慣れるのが大変だったはずなのに子供の頃の話とはいえ、本当に申し訳ないなと思います。
 
母は30代前半で3人の子供のシングルマザーに。
実父に「お前から離婚を切り出したんだから金は払わない」と言われ、養育費は一切なし。
祖母からの援助はあったものの、朝から晩まで働いていました。
そんな事情のわからない子供の私はただただ、わがままを言い続けました。
その頃から私は太り始めました。
写真で見ると裕福だった食べ物に不自由しない頃の方が痩せており、とても不思議です。
子供もストレス太りとかあるんでしょうね。。。
 
すごく残酷な話ですけど、太ってると周りの子から色々言われたりするんですよね。
しかも人を卑下する言葉をバカにしたように平気で使う子が多かったので私はどんどん内向的な性格へと変わって行きました。
デブブスと言われ「あ、私は人より劣ってるんだ」と、自分は前に立てない人間なんだと認識しました。
 
暴力や怒鳴る実父の他に、男性にトラウマを持っている理由とか。
当時、なぜだか幼女趣味の方に好かれてまして笑
デパートやスーパーなんかで触られたりされることがあったんですよね。
その中でも一番記憶に残っていて、気持ちの悪い出来事があります。
 
挿入まではなかったにしろ、そこまでに至ることを全てされたことです。
顔見知りの人でした。
今でも触られたり、舐められたり、擦り付けられたことを鮮明に覚えていて気持ちが悪くなったり、股の間にいる影を蹴り飛ばしたくなり足が動く時があります。
 
父親への憧れからなのか男性を求めて依存もするけど、男性への嫌悪感から男性を適当に扱ってしまうことがありました。
自分の中にある矛盾だらけの感情に若い頃は本当にどうしたら良いのかわからず悩みましたが、今では自分の感情や気持ちを整理して組み立てることができるようになっているので、昔のように暴走することは全くなくなりました^^;
 

今日書いた内容に合わせて、ストレスと運動の話とか。

子供の頃はとても太っていて、20代半ばまではまぁ痩せてはいないよねって感じでしたが、今は割と普通で締まっている体型です。
走ったり筋トレをするのが楽しいと気づき、好きになったおかげだと思います。
ただ太っていた頃の肉割れ(妊娠線みたいなの)があり、それを見ると太っていたんだなぁと感じます。
 
そういえば運動する人としない人では鬱になる確率が格段に違ってくるそうですよ!
私は専門家ではないので体感的な話になるのですが、運動をすると思考がはっきりして考え事や仕事がとても捗ります。
昔からすると信じられないのですがネガティブな発想はほぼしないのですが、さらに明るく元気に過ごすことができます。
それに夜も早い時間に眠たくなるので早寝早起きができますし、生活のリズムを整えるのに最適です!
 
大多数の鬱病の方が外に出るのが難しくて引きこもったり、学校や仕事になんとか行けていてもそこに全てのエネルギーを使ってしまうので、運動をするところまでは気が回るわけなと思います。
でももし、その時の一回だけであっても、気まぐれであっても。
散歩しに外に出たり、少し頑張って歩いて買い物に行けたりしたら、ご自分をたくさん褒めてもらいたいですし、周りのご家族の方たちも「たった一回の外出くらいで・・・」なんて思わずに喜んであげてほしいです。
 
勉強に得意不得意があるように、少しだけ生きるのが不得意なだけなんですよ。
 
長くなったので、今日はこの辺で。
またお会いできたら嬉しいです^^*

お金持ちの家に生まれた勝ち組のチートだった私が転落したたったひとつの理由。

。 
こんにちは。ポン酢です。
毎日じめじめしていますね、なんだか頭痛がしてきます。。。
ブログ2回目の更新です。
今日もゆっくり書いていきます^^*
 
前回の記事はこちらです。
端的に自己紹介させていただいています。
 
今までの振り返りのために始めたブログです。
世間話として友人などに話すと「ドラマみたいだね」なんて言われることが度々あったのですが、私は特にそこまで特別だとは思っていません。
ただ鬱に悩んでる人やその周りの人、今の生活になんだか満足が出来ない人に読んでもらえたらなと思って書かせてもらいます。
 
内容が重く、暗いです。でもとても昔の話です。
ご無理のない程度で思い出話にお付き合いください。
それではどうぞ。
 

お嬢様でお上品なお金持ちだった幼少期の話とか。

三人兄妹の末っ子。
お上品な幼稚園に通ってました。
歌が大好きで声楽科を出られた園長先生にとても褒められていたらしいです。
その道へ進むように勧められていたらしく!とてもやりたかった!!
今も歌が好きです。今が上手い下手は置いておいて笑
 
唯一の女の子ということもあり、みんなから可愛がられとても恵まれていました。
ひいおじいさんよりももっと前だったかな?
その辺の記憶は曖昧なのですが老舗の反物屋さんだったらしく、祖母がかなりのお金持ちでした。
第二次世界大戦でひいおじいさんが亡くなってお店もやめたみたいです・・・)
 
都会の方に家があり地価含め2〜3億のお家に住んでたんですよ!びっくり!!
とても立派なまさに日本家屋といった趣のある家で、大きなお庭にさくらんぼの木があって実がなるとテンション上がってきゃーきゃー言ってた気がします。
 
そのため祖母からは欲しいもの、食べたいものなんでももらえました。
よく覚えているのは休日にはタクシーで百貨店や外食、ホテルのプールに連れて行ってもらっていたことです。
しかも子供をプールに連れて行くって言ったら普通は市民プールだけど、ホテルのプールとかお金持ちのすることって豪華ですね!
私は今ただの一般人なので考えられませんけど><
市民プールって何百円とかで行けますが、あの時行ってたプールっていくらなんだろう・・・?
 
そういえばお母さんのお腹の中にいることから友達っていうすごく近所の幼馴染がいるんですけど、その子がめっちゃ気分屋さんで・・・
幼稚園が終わったら遊ぼうって約束してておうちに行くじゃないですか。
そしたら「いやだ、あそびたくない」と言われ「うわーーーん!」と何度も泣いて帰ったものです笑
 
そんな漫画のようなチート環境に生まれたのになぜ鬱になったの?と思うじゃないですか。
私もそう思います。ここまでは完全なる勝ち組ですよ!!
ところが人生はそうフィクションのようには上手くはいかないんですよね・・・。
 

生まれながらにしてお金持ちのチート勝ち組が転落した理由は絵に描いたようなダメ男、実父の話とか。

実父という単語で読んでいる方は大体察しているかと思いますが、両親は離婚しています。
それはまたおいおい書こうと思っているのですが・・・大体今から書く内容で「あぁ、そりゃあそうですよね・・・」ってなると思います。
 
話を戻しまして、実父がこれまた描いたようなダメ人間でして笑
よく母が実父のことを「呑む・打つ・買うの三拍子」と言っていました。
簡単に説明すると飲んだくれで博打好きの風俗通い(or浮気)ってことですね。
プラスで無職と暴力というダメ男の要素全てつめこみました!っていう人です。
怒りを通り越して今では笑えます。
 
幼い頃の記憶で、一番鮮明に覚えてるのは実父が暴れてガラスが顔に飛んで来た時のこと。
母もさすがに子供に怪我をさせるのは許せなかった。
二人が目の前で取っ組み合いを始めました。
私はそれをぼーっと見ていました。
たぶん泣いていました。
その頃は小さい子供なので理解していなかったと思いますが、「憎い」と感じていたと思います。
 
祖母も実父には甘く(弱く?)、お金をせびられては何も言わずに渡していたみたいです。
殴られた母に謝るものの、強く制することはできなかったのは一人息子への想い入れが強かったからなんでしょうね。
母はとても家庭環境が複雑なところで育ったので、家族や家庭への憧れや執着のようなものがあり、実父と離れられなかったと聞かせてくれたことがあります。
 
兄が母のお腹にいる時、二階の階段から突き飛ばして転げ落ちたことがあったみたいで・・・本当に同じ人間かなって思います。
私も堕胎するように言われていたのが、手術の前日行かなくていいと急に言い出したことにだけ、唯一実父に感謝をしています。
実父のエピソードは多くて止まらなくなります笑 
男性にトラウマを持つ私の軽〜く結婚願望とか軽〜く男性の話とか。
実父が酔うとよく怒鳴ったり母に暴力を振るっていたからなのか男性の大きな声はその時の精神状態にもよりますが、今でも異常に反応して体がこわばったり、涙が出そうになります。
・・・だけど今書いていて思ったのですが、その頻度も前に比べると減った気がします。
それだけ年齢を重ねたと言うことですかね。図太くなったというか笑
 
私は家庭や子供に関しては全くもって憧れも願望もないです。
いいものなんだろうな、と端から思うことが出来ても望めないんです。
それが性格なのか、それとも育って来た環境や今まで経験して来た出来事のせいかは私自身わからないです。
 
ただ男性と一緒に居たいという気持ちはすごくあります。
結婚はしても子供は作らないで二人で過ごしたいとは思います。
おそらく子供時代が辛かったからとか父親という存在へ憧れつつも期待をしていないからじゃないかと昔カウンセラーの人に言われたような。。。
でもそれで良いんですよね。無理にしなくても。
自分がそうしたいと思った時に考えようと思っています^^
 
男性に嫌悪を感じながら男性を求めてしまう矛盾した思考に私っておかしいなと若い頃何度も思って、そんな意志も気持ちも弱い自分がとても嫌いでした。
男性を求めて、男性を気持ち悪いと思い、男性に依存しつつ、男性を見下してる自分がいて、自分が何を考えているのかわからず苦しみました。
でもそれはそれで言い訳ですよね。
苦しんでいるからと言って、相手を無下に扱って良い理由にはならないのに。
いつかまたどれだけ性悪女だったかというのを書いてみようと思ってますが、嫌わないでもらえるとこれ幸いです笑
 
長くなったので、今日はこの辺で。
またお会いできたら嬉しいです^^*

はじめまして。

はじめまして、こんにちは。
ポン酢と申します!
本日からブログを始めてみました。
 

なんの面白みのない自己紹介とか。

軽く自己紹介をさせていただきます^^
九州在住。中卒の30代女性。
自由気ままなフリーランスをやっております。
好きなことしかやりたくない、めんどくさがり、気分屋の寂しがり屋です。
嫌なことや苦しいことはひとしきり落ち込んだり寝たら大体忘れます笑
 
中学一年生の時から鬱になり19歳になる年までの7年間、何もしていない空白期間があります。
10代はただただ時間の消費を、20代前半は性悪女、20代後半からはだいぶまともになりました!
同世代の人が経験してきたことや教養がないので・・・
劣等感を感じることもありますが、周りの人のおかげで私は生きれています。
 

ブログで書きたいこととか。

このブログでは、30代になったし今までの振り返りでもしたいなと思っています。
たまに自分の趣味のお話とかも書いていきたいです。
読みやすく、ライトに。
でも内容は少し重かったり、暗かったりするかもしれませんがお付き合いいただける方はどうぞよろしくお願いします^^*